ドキュメンタリーでも
第三者である制作者の視点が入り
その意図に合わせて編集された作品は
対象となる当事者の
本当の姿
を映していない場合があります
カメラを向けられると
誰もが少なからず演技をする
ということが事実であるならば
尚更のことで
そのあたりを踏まえて読み解くのが
ドキュメンタリー作品を鑑賞するときの
面白さであったりもします
当事者意識を持って
とか
他人事を自分事に
とかいう言葉が
現在のこの世の中では
必要 かつ 良いこと
のように使われていることが
多いような気がしますが
自らがその経験をした
わけでもない人間が
自らその経験をしようとする
わけでもない人間が
“そこ”で生きて“そこ”で死ぬ
わけでもない人間が
時代は
社会は
正義は
というような言葉を後ろ盾に
当事者意識という美徳に酔って
余計な介入をすることが
多いような気もします
『行き止まりの世界に生まれて』
当事者が
同じ“そこ”にいる人達
に向けてカメラを回し続け
その当事者が
編集もして完成させた作品
この作品で描かれていることに関して
当事者意識を持った他人が
どのように介入するのか
それを知りたいとも思います。。
『行き止まりの世界に生まれて』(93分/アメリカ/2018年)
監督:ビン・リュー
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